大判例

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東京高等裁判所 昭和44年(う)59号 判決

被告人 小森金一

〔抄 録〕

よつて所論にかんがみ、職権を加えて考察するに記録を調査し、当審における事実取調の結果を総合すると、本件事故の発生した千葉市幕張町一丁目七七〇〇番地先道路は、当時東京方面に向つて一方通行道路に指定されていた三車線(路面に区分標示がある。)道路であるが、被告人は原判示交差点を右折するに当り、その約三〇米手前で方向指示灯により右折の合図をし、サイドミラー等により右側後方に第三車線を直進する浜田昭忠運転の車両を認めながら、道路の右側端に寄らず第二車線から右折を開始し右浜田の車両と衝突するに至つたものであつて、被告人が右道路に入つた地点から現場交差点に至る約一六〇米の間には、一方通行道路であることの標識は設置されておらないこと(当審において取り調べた昭和四四年五月二九日付司法巡査の報告書(図面添付)による)、被告人は、右道路に入つてから一〇米乃至二〇米進行して第二車線に移りながら、当時車両の交通は比較的閑散であつて右折のため道路の右側端に寄り進行するのは容易な状態にあつたと認められるのにそのまま第二車線から右折を開始したことに徴すれば、被告人は、右道路が一方通行道路であつたことを知らなかつたものと認めるのが相当であり、これを知らなかつたことにつき責むべき事由があるものとも認められないので、被告人には道路交通法第三四条第四項により、右折するに当り『あらかじめ、その前からできる限り道路の右端に寄り、かつ交差点の中心の内側を徐行』する義務を課することはできないものというべく、原判決が被告人に『同所は三車線の一方通行道路であるので、』『あらかじめその前からできる限り道路の右側端により交差点の中心の内側を徐行』しつつ他の車両との安全を確認すべき注意義務あるものとし、これを怠つた過失があるものと認めてその責を問うたのは事実を誤認したものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかであるから原判決は破棄を免れず、論旨は結局その理由あるに帰する。

よつてその余の控訴趣意に対する判断を省略し、刑事訴訟法第三九七条第一項、第三八二条により原判決を破棄し、同法第四〇〇条但書によつて被告事件について更に判決をする。

(罪となるべき事実)

被告人は、自動車運転の業務に従事するものであるところ昭和四二年一一月五日午後三時五〇分頃普通貨物自動車を運転し、千葉市幕張町一丁目七七〇〇番地先の一方通行になつている三車線の道路を東京方面に向い第二車線上を進行して、同所の交通整理の行なわれていない丁字路交差点を検見川方面より国道一四号線に向い右折しようとしたものであるが、かかる場合後続して交差点を直進しようとする車両があるときは、右折車はその進行を妨げてはならない(道路交通法第三七条第一項)のであるから、被告人としては右折の合図をするに止まらず、直進車両との距離及びその速度に十分注意し、後続車両との安全を確認して進行右折しなければならない業務上の注意義務があるのに、被告人はこれを怠り、交差点の約三〇米手前で右側方向指示灯により右折の合図をしたが、後方の第三車線上に浜田昭忠の運転する貨物自動車が高速度で直進し交差点に入ろうとして接近するのを認めながら、これとの距離及びその速度の判断を誤りその前方を安全に右折できるものと軽信し、時速を約二〇粁に減じたのみで第二車線上より右折進行した過失により、先行する被告人の自動車が一方通行の道路上で右側端に寄らずに右折することはないものと信頼して、被告人の自動車の右折の合図を見落し、時速六、七十粁で交差点を直進しようとした右浜田昭忠運転の自動車を被告人の自動車の右側部に衝突するに至らせ、よつて自車に同乗していた榎戸繁(当時二九年)に治療約二週間を要する腰部打撲傷、同高野鎌吉(当時六三年)に治療約一週間を要する背部挫傷、同山口博男(当時五二年)に治療約三週間を要する右上膊、右側胸部、右腰部打撲傷の傷害を負わせたものである。

(遠藤 青柳 菅間)

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